チョウ道というものが、いついかなるときにもかわらないきちんときまった「道路」でないことは、もうぼくらにはよくわかった。それは季節によって、天候によって、一日のうちの時間によって、そして気温によってさまざまにかわるのである。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
アゲハチョウ以外の仲間になると、チョウ道というものはほとんどみられない。たとえば、畑や草原でいくら長い間観察していても、モンシロチョウにはチョウ道らしきものはない。モンキチョウでも同じである。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
モンシロチョウでは話はかんたんである。モンシロチョウの翅のうらには、もようなんかないので、色だけが重要なのだ。同じ色をした色紙でモデルを作ってみると、モデルは丸かろうと四角であろうと、また三角であろうと、オスはさかんに飛んできて、かわいそうに、このただの紙切れと必死になって交尾しようとする。だから、大切なのはあくまで色調で、形は関係ないのだ。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
たいていの動物の場合、行動をひきおこすきっかけとなるのは、相手の姿ぜんたいではないのである。その中のごく一部の特長が、いわゆる「かぎ刺激」となっていて、それが行動をひきおこすのだ。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
ぼくはまだ研究のとちゅうにあることについて書きたかった。いろんな失敗や、ばかばかしいまちがいを書きたかった。研究というものが、けっして本に書いてあるように、すっきりとした理論のうえになりたったすばらしいものではなくて、いかにばかくさい、くだらないものであるかを書きたかったのだ。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
生きものが生きているのは、自分の子孫を残すためだということも、長い間の議論のすえ、誰もが認めるようになった。けれど、その子孫の残しかたも、これまたじつにさまざまなのである。
『チョウはなぜ飛ぶか』 日高敏隆
卵を産む動物もあれば、苦労して赤んぼを産む動物もいる。生まれた子を親が育てるのもあれば、昆虫のように自分一人で育っていける動物もある。
小さな種子をばらまく植物もあれば、りっぱな果実をつくる植物もある。果実をつくる植物は、それを鳥に食べてもらい、腸を通った種子を糞とともにばらまいてもらうことが多い。そういう植物は、果実の中の種子が熟すまでは、果実は緑色で鳥の目につかず、種子が熟したら赤くおいしくなって、鳥が食べてくれるようにしている。アフリカには、果実がゾウに食べられないと種子が芽を出せないという植物もあるそうだ。
一事が万事このとおりで、生きものたちの生きかたは、生きものの種類がちがえばみなちがうといってもよい。それぞれに自分の生きかた、子孫の残し方があるのである。
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